koukissのジオログ

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2006年4月28日(金)
パソコンが届いた!!(第10回)
 前回では、大学4年生の頃の苦闘について語った。今回は、修士課程に進級した頃からのお話。
 「オタク」心を忘れた6年間のおかげで、パソコン関係では散々苦労したKoukissではあったが、修士課程に進む頃にはパソコン好きのK先輩の助けもあり最低限の作業は何とかこなせるようになっていた。研究テーマも研究室に入る前から心に決めていたテーマを選ぶことができたので、修士課程に進んですぐのあたりは楽しく研究をしていた。しかし、修士1年生の2月頃になって研究室の自分以外の同期はある程度良い成果が出ていたにも関わらず、自分は何の成果も得られていないことに気づいた。しかも、修士2年生の4月ともなると就職活動をしなければならない。せっかく恋焦がれて心に決めた研究テーマを得たのにも関わらず、何の成果も得られないのではあまりにも寂しいと思った。それ以上に、恩師に対しても研究テーマに対しても失礼極まりないと思った。そこで、どうすればよいか2月一杯悩み続け、同期の皆が研究を休もうと計画していた3月に、自分だけ休みを取らずに毎日研究室に通って、研究に関する洋書を1冊読み終えるという目標をたてた。そして3月に入って研究室から修士2年の先輩が卒業していなくなり、同期の修士1年、および4年生が皆、休みを取ったにも関わらず、研究室に殆ど毎日通い洋書を読みふけった。途中何度も挫折しそうになったが、そんなときの夕食時に夕ご飯を誘いに来てくれて、ご馳走してくれたのがパソコン好きのK先輩であった。(偶然であるがK先輩は現在のKoukissが働いている会社の関連会社で働いている。)そんなK先輩のさりげない応援もあり、3月が終わる頃には1冊の洋書を読み終えていた。内容を理解したかどうかは怪しいが、とにかく初めて洋書を1冊読み終えたことは大きな自信となった。一方で、Koukissは修士の残りの1年を研究にかけるため、パソコンに対する興味をそこそこにとどめる決意をしてしまった。今考えると、変な決意をしたようにも思えるが、それほど追い詰められていたのも事実である。そして修士2年生となり、研究に没頭するとともに、就職活動を開始したKoukissであった。
作成者 koukiss : 2006年4月28日(金) 23:25
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2006年4月26日(水)
パソコンが届いた!!(第9回)
 前回では、大学4年生になって研究室に配属されパソコンに触れたときの驚きについて語った。今回は、その後のKoukissの苦闘について語りたい。
 もはやKoukissはパソコンについては素人同然だった。しかし、輪講の資料、進捗報告や卒業論文もワープロソフトで書く必要があったので、卒業論文を書く時期には先輩のご指導で何とか最低限の作業はできるようになった(K先輩のおかげです。)。しかし、卒業論文の時期にまたTeXという組版ソフトの壁が立ちふさがった。当時、ワープロソフトといえば「一太郎」であったが、数式を記述するには不向きであった(今もそうだけど)。数式を多用する研究室にいたので卒業論文を書くにも「一太郎」では効率が悪いということで、「TeX」が候補として浮かんだのだ。研究室の誰が見つけて、推進していたかは覚えていないが、とにかく「TeX」で卒業論文を書くのが当たり前のような雰囲気になっていた。そこで、困ったのがやはり「コンパイル」という作業であった。卒業が迫っていた頃でもKoukissはBASICの頃の思想から抜けきれずに「コンパイル」して実行ファイル(「TeX」の場合は表示用のdviファイル)を作成するというのがいまいち理解できずにいた。そのせいで、「C言語」によるプログラミングの技術もいまいち成長していなかった。今考えると何で理解できなかったのか不思議なぐらいなのだが、とにかく駄目だった(Koukissはかなり要領が悪い)。しかし、卒業論文を書くという目的があるおかげで「TeX」で文章を書く最低限の知識は身に付けた。また、「TeX」のおかげで「コンパイル」することにも慣れ、「コンパイル」の意味も理解できた。目的(目標)が明確だとそれを達成する手段をものにするのも早いものだ。そんな感じで研究室での1年間はあっという間に過ぎ去り、修士課程へ進学することとなった。
作成者 koukiss : 2006年4月26日(水) 22:58
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2006年4月25日(火)
パソコンが届いた!!(第8回)
 前回は、Koukissが大学の研究室に配属されたところまでお話した。今回は、研究室に配属されてパソコンを触り始めた頃に受けた衝撃について語りたい。
 研究室に配属されてパソコンを目の前にしたとき違和感を覚えた。当時の自分の身分ではどうせ購入できないと諦め、パソコンから興味を意識的にそらしていたのでパソコンに関する新しい知識を仕入れていなかったのが原因である。BASICが搭載されたパソコン、もしくはKoukissが中学生ぐらいのときにシャープが掲げていた「クリーンコンピューター」しか知らなかったKoukissはパソコンにMS-DOSなるオペレーティングシステム(OS)が搭載されていて、しかもハードディスクなるものが入っており、様々なアプリケーションソフトまでインストールされているパソコンを見たとき本当に驚いた。当然、「OS」や、「ハードディスク」、「アプリケーション」、「インストール」などのパソコン用語を理解できないのはもちろん、概念すら知識として持ち合わせていなかった。「オタク」心を失った6年間を心より悔いた。特に悔いたのは「C言語」という言葉すら知らなかでことである。インタプリタ言語のBASICしか知らなかったKoukissは、C言語における実行ファイルを生成する「コンパイラー」で「コンパイル」するという言葉と意味がまったく理解できなかった(今でも十分に理解できているかはなはだ疑問であるが…。)。更に研究室には「ワークステーション」があり、OSは「UNIX」なるものでUNIXはC言語で記述されていると聞かされ余計にわけがわからなくなった。
 そんな理由から、それらの「用語」を定義する「分類」と「違い」(参考文献:早稲田大学名誉教授 篠田義明 先生 著、``テクニカル・イングリッシュ−論理と展開−''、南雲堂)を調べて理解するのにえらく時間がかかった。不幸なことにそれらの用語の定義を明確に説明、あるいは書籍を紹介してくれるような親切な人間が気軽に話しかけられるような人の中にいなかった(Koukissは人付き合いが下手。)。それ以上に大学生のうちは用語の定義を明確に説明できる表現力を持つ人も少ないので無理も無かろう。社会人になって「技術者」として何年も仕事をしていながら、やたらとカタカナ表記の専門用語を連発しながら、その意味を聞いたときにうまく説明(定義)できない技術者は少なくない。そんな技術者は信頼できない。
作成者 koukiss : 2006年4月25日(火) 21:29
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2006年4月24日(月)
パソコンが届いた!!(第7回)
 前回はPC-1245の液晶部が壊れたことろまでお話した。今回は、大学4年生になって、研究室に入る頃のお話。
 Koukiss35歳、大学1年生の頃には何もサークルに入っていなかったのに何故か大学の2年生から体育会系のサークルではなく「部」に入っていた。しかも、後期試験の真っ只中に合宿期間があるという理不尽な部であった。しかし、何故かその部活動に夢中になっており、試験に落ちた理由を部活のせいにはしたくなかったので、講義は休まずに出席してノートもしっかりと取っていた。そのおかげで殆ど単位を落とすことなく無事に大学4年生に進級できたKoukissであった。しかし、研究室の配属先を決めるにあたってひとつの関門があった。自分の希望の研究室、および研究テーマは大学3年生の頃から心に決めていたのであるが、その研究室の募集人数が6人だったのに対し、8人の希望者がいたのである。そういったときには成績順で上位から研究室への配属が決まるのが普通であろうが、何故かそのときはじゃんけんで勝った順だったのである。でも何とか勝ち残って無事に希望の研究室に配属された。研究室に配属され研究テーマを決める段になり、不思議と研究テーマを決めていた人間はkoukissだけでだったので希望通りのテーマを研究できることとなった。
 しかし、研究室に入るなりパソコンをいじろうとして衝撃を受けた。
作成者 koukiss : 2006年4月24日(月) 23:01
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2006年4月23日(日)
パソコンが届いた!!(第6回)
 前回はPC-1490Uを購入したところまでお話した。今日は、PC-1245に起こった悲劇について話そう。
 PC-1490Uを新たに購入したもののPC-1245の軽さと小ささから、持ち歩くポケコンはいつもPC-1245であった(なんでいつも持ち歩いているんだろうね。)。ある日、講義中にPC-1245である計算を確認することがあった。その後、悲劇が起こった。講義が終わった後、何とPC-1245を床に落としてしまったのだ。そのときは、外見上は何も無かったように見えたので、何も思わずに拾い上げて自宅に持ち帰った。数日後、PC-1245を使って学生実験の計算をしようとしたときに、ようやく異変に気がついた。文字がきちんと表示されないのである。最初は、電池切れかと思ったのだが、ドットの濃さからいってそれは無い。よくよく液晶を眺めると、左の下側に亀裂が入っていたのである。PC-1490Uがあったので学生実験のまとめには支障がでなかったが、そのときのショックと言ったら無かった。PC-1245を買ったときの感動と光景、そしてともにすごした日々が夢にまで蘇ってきたほどである。その衝撃たるや大学1年生のときに高校時代の彼女と別れたときと同程度のものであった。ああ…PC-1245…。その壊れてしまったPC-1245ではあるが、いまだに捨てられずに持っている。壊れているのは液晶部だけなので、何とか直す方法が無いか未だに未練たらしく考えている。このホームページを見たマニアの方々の中に、私と同様の悲劇を味わい、見事にポケコンを復活させた経験のあるお方がいらしたら教えていただきたい。とにかくPC-1245は壊れたままである。しかし、私にプログラミングの楽しさを教えてくれたPC-1245は、技術者を目指し始めた頃の自分を思い出させてくれる貴重な存在である。PC-1245を見てプログラミングの楽しさ、そしてあの頃の自分の志を一生忘れずにいたいと思う。
 次回は、Koukissが技術者、そして研究者人生を歩み始めた大学の研究室配属の頃のお話しをしようと思う。
 
作成者 koukiss : 2006年4月23日(日) 21:58
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2006年4月22日(土)
パソコンが届いた!!(第5回)
 前回は愛機PC-1245の復活までを述べた。今回は、PC-1245復活から2代目のポケコンPC-1490Uの登場までを語りたい。
 大学2年生になってようやく電気電子工学の講義が始まり、PC-1245は学生実験の理論値計算、およびデータ整理で大いに活躍した。学生実験の水準では、中学生時代に身に付けたBASICのプログラムの知識が十分に生きた。これは、自分の趣味が現実に役に立つことを思い出す良いきっかけになった。自分の趣味が現実に役に立つと、かなり励みになるものだ。中学生時代には、近所の方々の壊れたラジオなどを直したり、玄関ベルとして電子オルゴールを付けるように依頼されたりして自分の趣味が人の役に立つ快感を味わっていた。これは技術者として一番最初に身に付けたい哲学だと思う。
 話が外れたが、PC-1245を通じてしばらく忘れかけていた快感を思い出したと同時にもう少し高い仕様のコンピューターが欲しくなっていたのも事実であった。大学3年生になったときに、関数電卓かポケコンを持ち込みを許可する試験があった(持ち込まないと計算が間に合わない)。今考えると電卓を持ち込まないとできないような試験問題を作る側に問題があるようにも思えるが、それはさておいて新たなポケコンを買う決意をしたのがこのときだった。丁度、大学生協でシャープのPC-1490UとPC-500E(型番が間違っているかもしれません)が発売されている時期であった。アパート暮らしで貧乏生活をしていたのだが、貯金していたアルバイト代を使って25,600円ぐらい(何故か詳しく覚えていない)でPC-1490Uを購入した。PC-1245を購入してから実に7年の月日が過ぎていた。さすがに7年も違うと技術が進歩しPC-1490Uの仕様も(当時としては)かなり高い水準で、BASICの他にグラフ描画機能なるものまで搭載されていた。最初はグラフ描画機能にはまり、ギブス現象を確認したりしていたがすぐに飽きてしまった。またPC-1490UはPC-1245に比べて液晶の描画能力も格段に良いのだが、電池の持ちが悪かった。しかも、PC-1490UはPC-1245よりも大きくて重かった。そんなこともあり、普段持ち歩くポケコンとしてはPC-1245で、PC-1490Uはアパートにおいていくことが多かった。しかし、それが悲劇を巻き起こしてしまったのだ。
作成者 koukiss : 2006年4月22日(土) 23:23
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2006年4月20日(木)
パソコンが届いた!!(第4回)
 今回は大学時代の生活についてお話しよう。なんとかぎりぎりで地元から遠く離れた地方の国立大学に入学したkoukiss当時18歳、PC-1245を下宿先に持ち込んだは良いが大学1年生の間は本来の使い方はせずに、専ら家計簿をつける際の電卓としてしか使わなかった。親元を離れてひとり暮らしを始めたので、1年目だけは家計簿を付けて生活費を把握することに努めようとしていたのである。
 それは良いとして、その大学は学部によってキャンパスが県内のあちこちにあるタコ足大学だった。そのせいで、1年生のうちに一般教養の単位ををほとんど取得する必要があり、専門科目は無きに等しかった。しかも、一般教養の単位を取りこぼすと2年生に進級できない厳しい決まりがあり、同じ学科に入った同期の実に1割前後が留年していた。そんなこともあり、電気電子工学を学ぶために大学に入ったにもかかわらず、興味のわかない一般教養の講義を受けるだけの虚しい欲求不満の日々を送っていたkoukissであった。
 それでも、休むことなく真面目に講義を受け、無事に2年生に進級できた。教養学部のある場所から工学部のある場所への引越しも、アルバイト先から借りた軽トラックで友人と二人で済ませ、ようやく念願の電子電子工学を学ぶこととなった。電気電子工学の講義が始まると同時に学生実験も始まった。ようやくここで、PC-1245が復活した。学生実験では、大量の実験データを取得し、実験後に自宅でそのデータを整理してレポートを提出しなければならなかった。そのときにPC-1245にBASICでプログラムを組んで理論値の計算や、実験データの整理をしたのである。しかし、ポケコンを持っていた人はまれだった。入学前、電気電子工学科ということで電子工作やプログラムを趣味にしているような人ばかりがいるものと思っていたのだが、不思議なことにそんな人は1割にも満たなかった。殆どがなんとなく電気電子工学科を受験した人ばかりで、プログラムすら組んだことが無い人が殆どだという事実に驚いたときでもあった。PC-1245はこうして復活したのである。
作成者 koukiss : 2006年4月20日(木) 23:05
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2006年4月17日(月)
パソコンが届いた!!(第3回)
 今回はPC-1245の再び活躍するまでのお話。高校時代にパソコンはおろか電子工作する暇も無く普通の高校生生活を謳歌してしまったkoukiss35歳は夏休み前まで受験勉強もろくにできなかった。しかし、小学校6年生の頃に決意した電気電子工学関係の技術者になる夢だけはあきらめていなかった。何とか遅れていた受験勉強を始めたが、あせるばかりでいまいち効果が上がらずに共通一次試験(今のセンター試験)の時期になってしまい、結果は悲惨そのものであった。そして、東京の私立大学を3校ほど受験したがどれも不合格、浪人は駄目だといつもうるさかった親も半ばあきらめかけたのか「もう1年ぐらいいいよ。」との情けをかけてきた。そのころから意地っ張りだったkoukissは悔しい思いとほっとした思いが交錯する複雑な心境だった。そこで気持ちを入れ替えて、それまでの量をこなす勉強から、もう1年かけて勉強しなおすつもりでゆっくりと勉強することに決めた。それが結果としてよく働き、第1志望の地元の国立大学は不合格だったが、地元からは遠く離れた地方に所在する第2志望の国立大学にだけ合格した。父親は「私立大学に余計な金(入学準備金:20万円位だったかな)を払わないですんでかえって良かった。」などと気楽な一言。でも、大学で1人暮らしを6年間経験し、自分で稼ぐようになり、更に結婚して、子供を持ってみてその父の心情が良くわかりました。20万円を稼ぐのがいかに大変かがね。晴れて、大学に入ったkoukiss、PC-1245はしっかりと下宿先に持っていった。「いよいよ電気電子の勉強ができるぞー。」と思ったら専門がほとんど無い一般教養だけの虚しい毎日を過ごす羽目に。PC-1245の出番は2年生になるまでありませんでした。
作成者 koukiss : 2006年4月17日(月) 22:57
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2006年4月15日(土)
パソコンが届いた!!(第2回)
 前回では、私が生まれて初めてパソコンを購入したこと、そして生まれて初めてパソコンを購入するまでの長い道のりとして少年時代からのパソコンへの憧れと、中学時代にポケコンPC-1245を購入したところまでをお話した。今回は、続きのお話からはじめよう。
 中学1年生の冬にPC-1245を購入し、BASICプログラミングに目覚めた私はプログラム集に掲載されていたプログラムを片っ端から打ち込んではゲームをし、そのプログラムを改造することでBASICに関する理解を深めていた(つもりかな)。一方では、電子工作にも熱中しており、「ラジオ製作」や今は無き雑誌「初歩のラジオ」などの製作記事を見ては少ないお小遣いを手に秋葉原に出向いて手に入れた部品や、捨てられたテレビやラジオなどから抜き取った部品を使ってはいろいろと工作していた。
 しかし、そんな平和な時代は長くは続かず、あっという間に高校受験という生まれて初めての関門に挑まなければならない時期になってしまった。当然、中学3年の時には受験勉強をしなければならなかったのだが、そんなときでもプログラムと電子工作はやめられずかなり親に心配をかけてしまったが、何とか無事に高校に合格することができた。しかし、何故か高校に入ってすぐのころは部活動に熱中してしまった。しかも、途中からは生徒会にまで入ってしまい、帰宅時間がとても遅くなりPC-1245に触れる時間がほとんど無くなったのだ。更に追い討ちをかけるように、人並みに恋愛感情を抑えることができなくなっていた私はひとつの恋を見つけそちらに没頭してしまったのです。なんとPC-1245に失礼をしてしまったのでしょう。当然のごとくこの頃のパソコンはほとんど知らない。また、パソコンを買おうという意欲もなくなっていた時期でもあった。
作成者 koukiss : 2006年4月15日(土) 22:18
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2006年4月14日(金)
パソコンが届いた!!
待望のパソコンが届きました。35歳にして生まれて初めて買ったパソコンです。10歳の時に生まれて初めてパソコンに触って興味を覚えてから、自分で新品のパソコンを買うまで25年もかかってしまいました。実に長い道のりでした。この長い道のりについて何日かに分けて語ろうと思います。
 小学生時代の後期と中学生時代の初期、それほど貯金もなかった私は、パソコンを買うことは半ばあきらめていました。しかし、中学1年生の頃、私の前に救世主のごとく現れたのがシャープのPC-1245というポケコンでした。このポケコンですが、定価が12,800円(だったかな)というお年玉をためていれば何とか買えそうな値段にもかかわらず十分過ぎるぐらいBASICでプログラムが楽しめ、プログラムの学習本まで付いてくるという代物でした。同時期に出ていたCASIOのPB-100とも迷ったのですが、マニア好みしそうなPC-1245に強く惹かれ、買うことを決意しました。何と言ってもPC-1245が優れていたのはドット単位でキャラクターが思いのままに作れることでした。この芸当はPB-100ではできなかったので、PB-100を買ってしまった人に対して優越感を味わえる機能でした。
 丁度、その頃に両親が冬のボーナスでテレビとビデオを買いに秋葉原に車で出かける予定を立てていたので、一緒に出向き電気街で一番安く売っていた電気屋さんで9,000円で購入しました。しかも、1,900円もするプログラム集まで付けてくれたのです。その日は、家に夜遅く帰ったにも関わらず、中身を理解できないプログラムを夢中になって打ち込んでいたことを思い出します。それから中学時代は受験勉強もろくにせずにPC-1245でのプログラムにはまっていました。
 しかし、高校に入学した私は部活や生徒会活動や女の子にうつつをぬかして忙しくなり、何故かPC-1245から離れてしまいました。今、思えばそれは悔やみ切れない失敗でした。ごめんよPC-1245。
作成者 koukiss : 2006年4月14日(金) 23:50
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